ラクになるように生きる

3月頭から

白砂糖なし
断酒
などなどをしています

白砂糖なしなので、大抵のお菓子はNG
最初の1ヶ月は用も無く(買えないのに)お菓子コーナーをウロウロしたり
やたら白砂糖抜きのビーガンおやつを検索したり
忙しかった〜〜笑

お酒の場で酵素ドリンク炭酸割りを飲んだりと用意が忙しかった〜〜
花見なのに、片手におビールが無いことの虚しさったら…と嘆いたり
お酒は今日はいらないかなーって日も、酒の場だととりあえずビールしていたことはプチストレスだったと気付いた
飲まない(飲めない人)で居られることが実はホッとした感覚もあった

現在の気づき
ある意味、選択肢が無いので
シンプル。迷わない(迷えない)。欲しい、欲しい、足りない感覚が薄くなった。思考が静かになる
肉体面の変化よりも、気持ちの変化を感じている

 
……うえきさんの投稿を見て懐かしくなった。 何年か前の自分を見ているよう。
最初はなんだったかな。
・チョコレートを食べるのをやめる
・魚・肉を食べるのをやめる
・冷たいものをやめる
・大豆をやめる
・昼寝をやめる
・酒をやめる
・甘いものを食べるのをやめる
などなどなど、色んなことをやめてきた。やめた結果、「 シンプル。迷わない。 」そうそうこれこれ。
「 選択肢が無い 」も思ったは思ったけれど、ひとつの選択肢がなくなったことで、今まで知らなかった または 気づかなかった選択肢が増えたので「わあああ!こんな世界があったのね~ん」という感じで視野が広がったように感じたなぁ。新鮮で、楽しい。
 
アーユルヴェーダの講義で「嗜好品が欲しくなる / 美味しいと感じる―はストレスがあるから」と学んだけれど、「確かに」と分かった。
 
「 欲しい、欲しい、足りない感覚が薄くなった。思考が静かになる 」これも分かる。「やめる」プラス瞑想を習慣にしてからはこの感覚が加速したなぁ。
 
「 用意が忙しかった〜〜 」
→これも分かる。どこへ行くにも白湯が入った水筒を持ち歩くようになって、もともと荷物は少ないほうだけど、水筒でずっしり重い―みたいな 笑。
 
いろんなものをやめたり、その間に色々な知識を学んだり、経験をしたりして今に至る。
今でもチョコレート、肉、魚、酒はやめている―というか欲しくない。昼寝も必要なくなった。
甘いものや冷たいものなどは自分の消化力を考えた上で楽しんでいる。
ヴィーガンのくせに」とか「ヨガの先生のくせに」と言う方がいるのだけど、今の私の食生活はそんな感じです。
 
よく「ストイックね!」と言われるけれども、確かに「やめる」をし始めた頃は「ストイック」だったかもね。
でも、自分では「ストイック」とは思ってなかった。今思えば「忍耐」だった。
 
美味しそうなものを目の前にして「食べないぞ!」と言っている私をみて
「 誰のためにやってんの?なにをそんなに頑張ってんの?」と友人に言われたことがある。
そのときなんて答えたかちゃんと覚えてる。「自分のため」って。
そうそう、そうなのよ。まだ見ぬ「ラクな自分」になるためである。
 
人の意識は「自分がラクになる」ものに向くようにできている。(これは持論ではなく、アーユルヴェーダの知識に基づいたもの。)
「ラクを生きる」と「ラクになるように生きる」という言葉の違いは「我慢」なのか「忍耐」なのかというところ。
「知識がある」か「ない」か―もかな。
 
「ラクになるように生きる」=「忍耐」をすると、自分が思っていたよりもずっと、予想を大きく上回って、予想外の結果が待っていたりする。これはかなりのワクワクもの。「こんなにご褒美もらっちゃって、さらにこんなにおまけまでついて!!?ええええ!?マジンガー!!?」みたいな感じ。
うえきさんの「 欲しい、欲しい、足りない感覚が薄くなった。思考が静かになる。肉体面の変化よりも、気持ちの変化を感じている 。」これ、私も体験した―というかまだまだ日々体験中なう。
 
 
「私はあなたのようにはできない」と言われることもよくある。
私がつい思ってしまうのは「えー?ラクになったほうがよくな~い?」ってこと 笑。
自分が「いいな」って思うと、ついつい人にも教えたくなっちゃうんだよな。おせっかい。
自分のことを忍耐力がないとか、集中力がないとか、意思が弱いとか、そんな風に思っていたけれど、そんなこともないんだなと気づいた。
自分がラクになることに非常に貪欲で、忍耐力もあるし、意思も強い人間なんじゃないかと思えてきた 笑。
「ラクになりたい」を追求している私が行き着いたアーユルヴェーディックライフ。
たのしいぞアーユルヴェーディックライフ。
「できない」「やらない」ってある意味視野が狭い。「自分」という枠の中にいる。「知らない」は怖いことだから。だから「まだ見ぬ自分」への新たな一歩を踏み出すのもまた「忍耐」だったり。ちゃんとした知識があれば 、良くなること「未来のラクな自分」をちゃんと見えているから 分かっているから、忍耐できる。