私たちの本質は「至福」

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慌てたようにメディアがトランプの悪口 ―悪い印象づけをしようと言ってる→懲りない人たちだ」

なぜあそこまで悪く印象づけようとするのか?―そこに答えがある

「いま」起きていること―そこに全て繋がっていく と分かる人にはとっくに分かっているが、目の前の現象を見て、TVが言った通りに解釈している人にとっては永遠に分からない

 

現代のここに至っての終末現象が起こっている

終末前に篩(ふるい)をかけられて(「いい/悪い」ではなく)立場がみんなハッキリしてくる

これまでの魂の縁なのかも知れないが、(例)ワクチンに関しても、「打たなければ死んでしまう!」と思っている/「打ったら死んでしまう!」と思っている ―くらい完全に分かれている

↓ だから、

篩にかけられて、同じような粒の人「あなたはここ」「あなたはここ」で横の関係が全く疎通しないような時代になっている

いずれなんらかのショック状態を通して、目が覚めてまた和解していく可能性も当然ある

↓ しかし、

現段階では、どんどん「分離」とは違うが、これまでの結果による生き方の「自分はこういう人間だ」と思っている区分けができてきている

それが いい/悪い はともかく、これは善悪を超えているので、どちらが正しいとは言えない

自分が正しいともいえない

ただ、なんであれそのような区分けが進んでいる

↓ だから、

トランプのことが分からない人はやはり永遠に分からない

お互い分からないところまでいってしまった

 

日本のこれまでの流れを見てくると、戦勝国アメリカの統一教会などを一緒に動かしていたCIA的なアメリカに支配されていた国

トランプはそれに対して日本人は本当にヒドい目に遭ったよね―という立場で見ている

トランプやプーチンが暴いてきた勢力はいままだDSやメディアとして力を持っているので、彼らのことを悪く言う ―という単純な話

ただ、その勢力分野がどんどん変わってきていて、もうプーチン・トランプ革命は終わりの段階にきている

追い詰められているのはDSとメディヤである

今年の9月10月以降だんだんと明快に向けて見えてくる大きな流れだろう

これには善悪がなく、時代の変転という形で見なければならない

 

ここまで世の中がハッキリ大変な状況になってくると、全ての問題は個々に戻っていくようになるということをずっと一貫してお話ししている

そのときに、個々に戻るとは言え、自分をどのような視点で見つめていけばいいのか?

が問われる

これは、善悪とか正しい/正しくない―という視点ではなく、ひとつの絶対的な見方があるように思う

まず、私たちは宇宙の法則があるとしたら、何をもって宇宙生成の原動力とし、宇宙発展の原動力と成しているのだろう?

おおもとに当たる価値とは何か?

ひとつ、これだけは本当だという視点は

宇宙でイチバン大事なこと ―すべての原動力のもとになっているのは欣びであろう

ということ

宇宙のおおもとが「欣び」によって生成され、動いているということは、その中で暮らすその中でつくられた私たちの原点にある価値観、原点にある思いは「欣び」があるか/「欣び」がないか に尽きるのではないか?

私たちは生かされてこの世にいる=欣び

生かされて生きている

自分で生まれてきたワケでもないし、見えない力の集大成によって自分というものが宇宙が生んでくれたのだから、「私なんてなんの意味もない」なんて考えること自体がよくあることではあるが、それが「罰当たり」

「自分」という存在がこの宇宙が許されて出現している

↓ そして

いまでも存在している

これを欣びとするか、呪いとするかによって人生の方向も与えられるものも違ってくるに決まっている!

↓ そして、

そのおおもとが、判断が「欣び」という1点に絞られていく

「悪いことをしてしまったから、罰が当たる」ではない!

欣びがあるのか?

欣びのよって動くのか?そうでないのか?

―という見方に

それが宇宙の判断ポイント

神様が生んでくれた「わたし」の人生「わたし」という存在を呪っていたら、創造主は面白くないと思う

「私は大変なんです!けれども、存在たらしめてくれてありがとう」と言えば、やはり宇宙は答えるだろう

↓ だから、

私たちの人生で、考えるべきイチバンのポイントはなにか?

欣びを視点に物事を考えているかどうか

↓ そして、

これがある意味では生生流転を生み出すイチバン大きな力だから、

摩訶不思議な力に守られて色々な発見や発明や、その人に合っている生涯や人生が開けていく方向に欣びのルートだと伸びていくのではないか?

 

一方、うまくいかない人は、守りから入っている

「こうなったら大変だ」「こうなったら大変だ」

― そのような人が本当におおらかで幸福に巡り合ったことってあまり見たことがない

↓ すると、

ますます頑なになり、不幸が怖い・・・

不幸が怖かったら、信念なんて通せない=信念もない

まして、生まれてきて、つくってくれた人に対する感謝、ありがたさ、よろこび・・・がない

それでどうしてこれからの峠が越せるというのか?

行き詰ってきて

未来が見えるうちは、安全策が分かる(多少は)

未来こうやって伸びていけば基本的な安全策に沿っていけば、なんとかなっていく

しかし、いまはそれが見えない

 

自然が発展するものは、人間の「欣び」をエネルギー源としているし、媒体としている

↓ そして、

不安や恐怖やそういうものはあってはならない!と防衛して、我を守ろうとするような方式=DS 

予定未来を画策して、自分たちの都合がいいように創造していくような政治とか体制と結びついた

↓ そして

そういうものを支える人たちにとっては、あてにならない欣び バッカじゃないの!?

相容れない

 

不安で怯えて安心したい人に「向こうは面白いよ」なんて言ったって、それどころじゃない!ってこと

そのためには、人を裏切ったって構わない、自分自身の安全のためには

・・・となっていく

「いま」そこがハッキリしてきている

どちらの人数が多いのか?

― 圧倒的に不安ではイヤだ、安心が欲しい!という動機によって動く人が多い

ワクチンの接種率を見ても、恐らくそうだろう

ワクチン=安心 だと思っているのだから

 

そういうものが合い別れてきて、もう共通の同じところにいながら、

違う人生、違うものを見て生きている ―というところまで来ている

 

未来が怖い!自分が怖い!という人でも、「じゃあなぜ生きているの?」

やっぱり欣びで生きている

そういう人でさえ

安心で生きているのではない、安心で生きているとしたら安心を捕まえているはず

不安な人に安心なんて無理

お金が入れば安心だと思うのは、お金がないときだけ

↓ では、

神様に3億円もらった、これでしばらく大変なことをしなければ安心して生きていける

はい、安心♡ ―と24時間くらいは思うかも知れない

↓ しかし、

この3億円をどこに置いておこうか・・・

失くしたらどうしよう・・・

どこに預けよう?あの銀行は危ないかも!・・・という不安がどんどん襲ってくる

↓ そして、

得たものを失ってはいけない

もっと得ないと安心できない!―という魔の手が伸びてくるのもものスゴく早くなる

↓ だから、

お金が欲しい

あれさえあれば、安心だ♡というものは全てウソ!あり得ない!

「あれさえあれば安心だ」なんてない!

↓ だから、

不安病、不満病―というものは、外界から自分に満たされないから

不安なんだ ではないい

不安な人間として自分のことをとらえているから

 

だって、小学生はポケットの中に1円もなくても別に不安を感じない

たまに1万円札を小学生が何かのついでに持ったなら、不安だよね?

そんな状況が生じてくる

↓ だから、

生かされていると思えば、基本安心だ ―ということになると、自分を守るために何かする必要がないから、素直に欣びのほうに手が出せる

身体を出せる

意識を向けることができる

↓ そして、

それが人を生かすエネルギー

欣び=エネルギー

 

不安だ不安だ という人も実は欣びで生きている

人によって色んな小さな欣び

「あ~よかった♡」かもしれない

「ちょっと儲けた♡」かも知れない

「たまに食べたあのお菓子♡」かも知れない

「○○さんと会うと変に刺激されないで、安心して楽しめる」

そういう友達がいると本当に救いになる

 

不安な人は見栄を張るから、結局人間関係も負けた/勝った という世界に入りやすい

↓ だから、

本当の意味での安心はないが、

それでも

お風呂に入った解放感

一人になって鍵を閉めたホッとした感じとか、

色々な小さな欣びの連続によってエネルギーを得て生きることができる

 

「生かされいる」=絶対にどこかよろこびがある ということ

↓ なぜなら、

よろこびがエネルギーだから、全く欣びが途絶えたら、死ぬ=生きていられない

重病人でも生きていられるのは、ラクになったときにエネルギーを得て生きていられる

それがだんだん治ってきて、重湯になって、お粥になって、空腹を感じるようになってくるという生命反応のおかげで「あと2時間で夕飯を食べられる♪」まで

 

普通はてくてく歩いているが、足をくじいて傷んだ足が一歩歩けない

ちょっと歩けると嬉しい

・・・それがエネルギーになる

そうこうしているうちに「一生歩けないかもしれない」ことを忘れて歩いていることがある

そのようなことが続いていくなかでだんだんと歩けるようになり、歩けるようになる

 

どんなひどい状況になっても、やはり人を支えているのは「欣び」である

だから、初めから素直に安心安全よりも欣びを求めたほうが

欣びに意識を向けて選択肢があったなら、そちらを選んだほうがうまくいくだろう

↓ なぜなら、

守られている という信仰を高めることができるから

だって守られているから生きている

守られていなければ誰でも死んでしまう

 

創造主の気持ちを考えたら、よろこんでくれる子どもが嬉しい

もらったものを呪っていたら、自分の人生を呪っていたら、

せっかくあげた人生を呪うの!?

↓ つまり、

これまでの社会は、安心安全これをやれば実証できる というパターンを認識させ、

だからこのような人生を歩まなければ危ない・酷いことになる という教育だった

 

人の影響が即自分にくるわけではないし、

色んな人がこのようにして生きているのだなとみることは大事

 

なんであれ、欣びが私たちにエネルギーを与えているのだ 

安心安全を欣びのない安心安全にかえたら私たちは行き詰る

は方程式だ

 

欣びは小さなものほど大きな力を与えてくれる

日々の小さな目の前にあることに欣びを見いだせる人が本当の智慧のある人である

 

これからくる混乱の時代、心に留めておきたい