未消化物にエネルギーを奪われる
なにかひっかかりがあるとこころの隅に固着したままずっと残っている
自分に直接関わる記憶の中で「そんな昔のこと」と合理化して、いくら忘れていても本当は忘れていない未解決の記憶、未解決の刺激、未解決の疑問が誰のこころの中にもある
固着された記憶に対して、私たちの意識は全て吸い取られるように
納得できない未解決の記憶 ―エネルギーを奪われていたとも言えるし、ずっと考え続けてきたとも言える。
自分の中にある未解決の感情、未解決の理解できない事柄にどこかで私たちはもう一度振り返ってシフトして
物事は感情的納得で終えない限り、終われない宿命を持っている
その間は私たちはずっとその出来事=未消化な出来事に対して不可解なエネルギーを奪われ続けることになる
これがいくつもあって、そして感情的に「なるほど!こうだったのか!そうだったんだ、やっぱり悔しかったなぁ、やっぱり嬉しかったなぁ、やっぱり苦しかったなぁ」という形でどこかで感情的な納得を終えない限り、私たちは過去を清算できないようになっている
↓ そして、
清算できないものがあまりにも多過ぎる!
と、いつしか自分の人生をどこか弁解がましい、なにか目の前だけの自分だけで構わない
どこか自分は深いところに繋がっている ―という世界をどこかでちょん切っているような生き方しかできなくなってしまうのではないか?
大宮は大宮
大宮公園は世界一大きい公園ではない
―ということもよく分かって、小学生時代のひとつの記憶として“THE END”やっとできた
今度は自分の中にある、見ようとしていたが、なんらかの都合の悪さ、それを見たら何か新しい問題が生じる ―ということによって見ぬフリをしてきているひっかかっているものが誰のこころにもあるはず
それをこれから探っていこう
これまでも何度もやっているが、今回の体験をもとに自分の中に尋ねて、いろいろな点検をしている
不思議なことに、このように紐解いていくと、そのようになっている
縁(えにし)
人間は時間の継続によって、新たな体験を積んでいくように見えるが、
時間の継続とは別で、体験自体が未消化のまま残っているものは時間軸を超えてその人に解決をしてもらいたいと望んでいる状況があるはず
↓ そして、
これにひとつの答え=感情的答え=「そうだったのか!」
が得られると人は生きていくことがその分ラクになっていく
いっこ2個・・・たくさんある
↓ だから、
生きることが理由なく辛いという人はたくさんいる
↓ それは、
やはり、未消化の何か過去に関する出来事がまだエネルギーを奪っているだけで、日が当たらない無意識の世界に追いやられている叫びだと考えると、自分自身について行く末を考えるよいタイミングになった
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【コメント欄より】
「定期的に物を断捨離すると心が軽くなる感覚になります。心の奥にある余分な未消化の感情の整理も必要」
「母親に虐待されていましたが、親が偉いと子供の頃思っていたことが、親と同じ年齢になり客観的に見るとすべてが腑に落ちました」
「過去あるいは過去世の出来事に対する未消化の感情に向き合うキッカケを得ました。深く覗き込むのをずっと避けていたことですが、そのままではいけない!と強く感じて、恐怖心もありましたが思索を巡らせました。 一定の答えが出てスッキリしたような今日でしたので、タイミングの合うこちらの配信に驚きながら、共感しております」
「過去にエネルギーを吸い取られる」