やっぱり自分で作っていくなかでその出口を見つけないと
音楽をつくる自分の中の目的としては、
「躍らせたい」がスゴく大きく占めている。
リズムをつくっていくのがもともと好きなので、スゴく嬉しいです。
音楽にはスゴく憧れがあって、踊ることと同じくらい歌うことにも憧れがあって、歌うことも踊ることも全人類に開かれた本能的な娯楽だと思う。
どんな人も教わらなくても歌ったり踊ったりするじゃない?
そういう意味でスゴく音楽に憧れがあったんです。
音楽活動を始めてみて思うのは、
音楽のプロはスゴい!!!
音楽を自分で生み出す人、生み出し続ける人
どうなっちゃってるの!?頭の中!
どうやって曲を作っているんですか?
歌詞が先なのか、曲が先なのか?などなど…
僕は曲を先に作ることが多くて、ギターで作るときはギターを弾きながら歌いながら作る
僕は今はキーボードでパソコン打ち込んでいきながら曲の全体像を作る っていうのを中心にやっていて、そうなるともうなんていうか、リズムだったりとか、鍵盤とかシンセサイザーとか、全部構築しながら作っていく。―で、その後で歌詞を考える ―みたいなことが多いです。
僕は音楽と作るときにイチバン最初にビジョンが思い浮かぶことが多くて、
この雰囲気 とか、
この場面 ―例えば荒野で馬が走っているビジョンが思い浮かんだとしたら、これにこの今の感じを音に変換していこう! みたいな
その感覚でずーっとやってくみたいな感じですかね
これはなるべく脳の中からそのまま出てくるように作りたい
映像を思い浮かべ、それを音にダイレクトにトレースするみたいな?
そうですね、なるべくそんなイメージ。
それが映像のときもあるし、感情のときもあるし、雰囲気のときもあるし…色々なんですけど…
「もう作れない!もうダメだー!」みたいなときはないの?
―あります。毎曲ごとにあるくらいあります。
「もう終わりだー!」ってなりますね。
ーそういうときどうするんですか?
色々気を散らしたりしてみるんです。色々映画を観たり、違う曲を聞いてみたりだとか、でもやっぱり自分で作っていくなかでその出口を見つけないと
結局曲を作らないとそれって解決しないので。
結局作るしかない ―って感じです。作り続けるしかない っていう。
なにかをやり始めたら、動くことでしか結局エネルギーを回し続けられない
思ったこと、ただ正直に書く!っていうのが日課だったんです ずうっと
それをやっていると雑念っていうかイヤなものが出ていく
最終的に分かったことが、書くことは懺悔と浄化だ!
自分に対して懺悔 浄化する作業 アウトプットして手放していくってことが本当に必要なんです
SNSが発展し過ぎちゃって何が自分の思っていることなのか分からなくなりますよね
情報過多で
自分の言葉で文字を書けている人、スッゴい少ないと思う
定型文があまりにも多くて
パターンが
誰かが見る可能性とか、1mmでも感じると、それは本心とは別
表現して、本当に自分の本心を表現できる人ってプロでもいない