ほどほどを愉しむ

冥王星は極端な星

「善い」と思うことはなんでもやりたい

マズいことはなんとしても遠ざけたい

 

スゴいことを求めて幸せになりたい―と思っていたのでしょう

 

酷い目にあって、やっと気づくことができた

 

人が「幸せになりたい」と思うのは当たり前のことだし、

「少しでも良くなろう」と思うのも自然なこと

それに捉われる

捉われた結果大変になる

 

「お茶をたしなむ」

好きだからと言って、一日に何杯も飲んでいたら、“本当に”お茶を愉しむ―こととは違うのではないか?

 

甘いものが美味しいからと言って、年中食べていたら美味しさというよりも身体にダメージを受けてしまう

 

かと言って、

「甘いものは絶対に食べない!」

心もとない不安を感じる ←「我慢」だからNE

ストレスからリバウンド

または

身体を壊す

 

なんでも「これはやめる!!」=スゴいこと(スゴい決意・決断)

異常になにかをやり続ける=スゴいことを求める

 

スゴいことを求める=「いまのままじゃダメだ」という思いを大きくしている

・いまの自分では通用しないんだ

・いまの自分では幸福になれないんだ

・・・という「思い」=「いまは全然スゴくない」を肯定している

 

少しでも良くなろう

少しでも良くなろう

・・・やればやるほど「いまの自分ではダメなんだ」という“思い”を強くする

 

 

インターバル=“ほどほど”ってこと

キツいトレーニングは体力がある人にとってはいいが、

そうでない人にとっては身体を弱めるだけ

3回やって、1~2分休む→3回やって、1~2分休む→∞

・・・ってやれば永遠に続けられる

知らないうちに筋肉がついていく

 

全て、インターバル的に(ほどほどに)やれば永遠に続けられる

 

「たしなむ」「ほどほど」は非常に長続きするし、常々の幸福感が得られるし、

しかも、結果的に身体にもいい

 

(例) 周波数のチューナー

・この周波数は何にいいの? ― それは確かにあるはあるけど

 

・これはなんですか?

・1日何回やればいいんですか?

・長ければ長いほどいいんですか?

・・・・・・そうじゃないだろ

 

どんなにいいものでも、スゴいことを求めると

結局なんでも人間の“思い”のほうが強い

自分の意識が全てを創造している

↓ ・・・ということは、

スゴいことを求める=いまは全然スゴくない状態を創造している

 

どんなにいいものがあったとしても、スゴいことを求めた途端に違くなる

 

善いことをしよう、幸せになろう、幸福になろう、健康になろう、お金持ちになろう

の副作用によってダメになる

 

何か不足があって、何かをしなければ幸せにはなれない―という誤解

 

自然に私たちが全て得られるように仕組まれているというシステムに安心感をもって「ほどほど」を楽しむ

=自然が創造したシステムに対する信頼を寄せること→だからうまくいく

 

意識が人間をつくる

意識が現象をつくる

「たくさん摂らなければならない」と思っている時点で不健康である

重曹よりも意識のほうが強い

 

「どっちがいい」論争

 

自分で実験的にやればいい

「これだったら続くな」と自分なりの方法を試すのがイチバンいい

 

イチバン簡単な「悟り」

“いま”が「いまのままではダメだ」

いま色々な問題があるが、頑張ってきた結果が“いま”なんだから、“いま”幸せになる以外ない― ということ

“いま”を肯定するから、どんどんそこから善くなっていく

 

幸せとは勝手に訪れるもの

幸せになろうとしても訪れない

“いま”幸せだ―って決めちゃえば、

人は“いま”幸せになるしかない

 

よいことを求めて、“いま”をダメにしない生き方がなんにおいても大事

 

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