【神回】マドモアゼル愛先生の「簡単だよ」の話
[文字起こし]
面白がる人もいるし、人それぞれ
「クレーム」と言ってしまったので、その言葉に反応してしまった人がいるが、その人は別にクレーマーではない。そのように思う人もいるだろう。
「クレーム」と言ったことで、「クレーマー」という印象を与えてしまったが、事実は違う。
ありがたいアドバイスとして受け取り、
その人は決してクレーマーではない。
私たちは分からない。
自分が分かっていることは、ほんの少しで、多くの人が分からない世界で生きている。
自分自身についても、自分で自分のことを分かっている部分は、ほんの僅かである。
9割以上は無意識と言われている通り、私たちは知らない「自分」として存在としている。
しかし、
表面意識では、自分がすべてだと思っていて、「これが自分」と思っているのだから、100%自分で自分のことを知っているとつい錯覚してしまうだろう。
実際には、全くそんなことはなく、90%以上自分のことを自分も知らないのだ —という視点がこれからとても大事になってくるだろう。
そんな気がする。
例えば、
なんでも意識的に見ようとすることはできるが、
心臓、肝臓、腎臓、胃、あらゆる血流は全部無意識に 勝手に動いてくれている。
その部分が私たちの生存にとってほぼ100%に近い状態で無意識的に私たちは生かされている。
身体ひとつをとってもそうであるならば、ましてやその司令塔に当たる意識、脳の働き、無意識の分野は全くの未開地であって、私たちはそれについてほとんど知らないのだ。
ー と考えると、空しいような気分にもなるが、解放されたような気分になる
どうせ分からないんだったら、責任ないんだな~って面もある。
みんなの悩みの種は「自分のことが嫌い」
じゃああなたは本当の自分を知っているの?
誰もが自分では分からない隠れたところの自分として心臓や肺が動いているのと同じように、私たちの存在自体もそのようなものなのだ。
↓ つまり、
この世のほとんどのことは見えないもので成立して成り立っているという面があるんじゃない?
ただ目に見えるものだけ増えた/減った、運がいい/悪い とか、目に見えるものだけで私たちは判断しているので、それがすべてだと思ってしまうけれども、本当は数%程度のことで、本来はもっと良い/悪い のない巨大な海を私たちは持って抱えている —となったら、そこから表現されるものがたまたま金持ちになったり、行き詰まったり、誇らしい成果を出したり、恥じるような失敗をしたり、—という本当に少しの現実をもたらしているだけなのだ。
知っている自分はほんの少しであって、知らない自分がほとんどである —と思えると、これまで生涯の中でやってきたことで成功したこと、誇らしく素晴らしいことーそれはそれで素晴らしいけれど、それは私たちの努力とか、才能とか、自分にあるものだと思ってついつい私たちは自惚れてしまいやすいけれども、90%以上が自分
の分からないところでやってきたこと、そこからやってきたのだから、ハッキリした因果関係なんてもしかしたらないのかも知れない。
だからすべて 乱暴な言い方をすれば、「偶然だ」ってすべて片づけたとしても決しておかしくないんじゃないかなー。
人は成功した全く同じ理由で失敗するようになっている。
成功体験から学ぶ —これはこれで大事だけど、だいたいは成功した法則・方式にこだわって、そればっかりやって、それが時代遅れになって、同じところで失敗する。
↓ だから、
うまくいくのも、うまくいかないのも私たちの数%くらいの認知できるところから創造したものというより、
心臓が勝手に動いているように、成功したり、失敗したりしているなーくらいの気楽に考えるときがあってもいいんじゃないかな。
何か新しいものを生むときは、顕在意識の中からイメージが湧いてくればいいけど、本当に思わぬところで成功したり、思わぬところで失敗するように(色んな人を見ると)なっている気がする。
失敗すると、あたかも自分に責任があるような気になって、100%落ち込んでしまうが、
逆に成功すると、自惚れて100%自分ってスゴいなぁと思いたくなっちゃう。
けど、そんなことないんじゃないかなー。
未来はなんであれ、豊かで、輝いていて、喜びに溢れていたいよね、だれだって。
だから、神社に行って「今年こそは!」「受験だから受かりますように」とか、輝かしい未来について誰もが良いものを求める。これは人情として自然なことだと思う。
しかし、
どこかで自分をメンタル面で制御している。
金持ちになりたいけれども、自分の気づかないところで「自分は貧乏だ」という意識がどこかで強く働いているとすれば、いくら「金持ちになりたい」と言ったって、ブロックが大きくなってしまう。
「思ったことは実現する」いろんな人が成功の法則、引き寄せの法則とか、そーゆーもので表現してきたが、それも面倒くせーって思うのよ。
成功なんて意識しなくても成功するときは成功しちゃうし、
どんなに努力しても失敗するときは失敗するっていう面もある。
ほいで、
日頃の日常で努力するってのは、そーゆーこととは関係なく、人としての自然な日々の過ごし方だと思う。なんでも良きを目指して頑張る!その成果にはこだわらないんだ!という
90%以上がどこからくるかわからない 成功にしろ、喜びにしろ
プレゼントなんだ!と思っちゃえば、「だから内面なんていいや」ってのは人間として恥ずかしいので、日々の努力はそれなりにするものの、成功も失敗もそれとは違ったベクトルのものが働いているんだってのは夢の部分としてそのようにとらえていれば気楽でいいかな~って気がしてる。
思い返してみると、成功も失敗も多い。
成功体験も多いし、自分なりにだよ?
失敗体験も多い。
それって、日々の努力とは本当はどちらも違うような気がする。
じゃあ、まったくのデタラメか?っていうと、そうではなくて、
やっぱり、うまくいくときのパターン、
マズいときのパターン、ってのがあった!
それは、日々の努力とかいうのも大事だけど、それとはあまり関係ないっていう・・・
じゃあデタラメか?っていうと、デタラメでもない!
自分の言葉がやっと見つかったんだ!
あなたが あなたが、 あなたが、
何か夢を持っている
こうしたい
こうやっていきたい
ってときに、見えない部分のブロックがかかるよね?
特に本人が思っていたら。
そっちが大きいから、行動を止めちゃうわけじゃん?=運命を止めちゃうわけでしょ?
そこの ブロックをほどく魔法の言葉・・・「魔法」ではないんだけど、やっぱ考え方の姿勢があると思う
もともと私は自分なりのたくさんの成功体験、自分なりのたくさんの失敗体験を持っている
そのときのたくさんある自分なりの成功体験に共通しているものが見つかった!
これはきっとほかの人にも共通するんじゃないかなぁ
もしあなたが「金持ちになりたい!」と思ったとすると、
できるだけ具体的なほうがいいらしいから、
じゃあ年収どのくらいですか~? とか、
自分なりのイメージを持ったとすると、
イメージが具体的にあったほうが、引き寄せられやすいので、
「引き寄せ」ってあんま好きじゃないんだけど・・・そーゆー風に言われているので。
なるたけ具体的にやったほうがいいのかも知れない
数字の具体性よりも、
「こんな豊かな暮らしがしたい」ってイメージのが大事
そのためには漠然と年収、家族は4人いるし、大学行くにもお金が要るし、貯金しなくちゃいけないから・・・年収4,000万くらい 手取りで2,000万になっちゃうんじゃないかな
だから、そーに考えると、
みんな「難しいな・・・」って思っちゃうんだよ。
その反対
常に夢や希望に対して「簡単だよっ!・o・」
どこかそういう気持ちが働いている人はうまくいく!
うまくいくのが人生の目標だとは思わないけれども、
神様とかこの存在というものが、そーゆー恩恵に満ち満ちてるってことが本当の本来のものであるならば、そこに妙に抵抗する私たちの気持ちのほうが不自然だっていう気がする
だって、人が幸福になることは、すーぐなれちゃう。
でも、貧乏人で苦しい苦しいなんて思ってる人は貧乏になれない。なかなかなれないからいつも苦しいって言ってるわけ。
なかには貧乏を楽しめるスゴい人もいるけどね。
それは最高だけど。
あくまでも例です。価値観は人によって違うからね。
これまで年収500万だった人が、年収いきなり5,000万なんていうと、「あー・・・」って思っちゃう。そのとき一言「あー・・・」っていうまえに「簡単だよっ!」というセンスを育てるといいと思う・o・
っていうのは、この世はそうやってできてると思う。
本当は簡単に
だから、良いことにはすぐに慣れるけど、
悪いことには慣れない
本当は天国を勝手に地獄にしちゃってるのが私たち
そーした罪を持っているのが私たちで、本当は「簡単だよっ・o・」憎む必要ないよ!
無理して努力する必要もないよっ!
「簡単だよっ!」
と、言っているような気がする。
そうでなければ、地球が何万年も続くとか、人類が何万年も続くとか、春夏秋冬がこの世に訪れて、別に勉強もしていないのに草木が勝手に生えて、こんななるわけない。
どこかに「簡単だよっ・o・ こうなってるんだよっ・o・ 幸せなんだよっ」っていう約束が
それが実体なんじゃないかな
成功するときってそんな大変なことしてないんだよ
大変な努力を積み重ねて・・・ってそれは絵になり易いし、話になりやすいから、
みんなそーゆーことに注目しやすいけど、本当のトコは成功者に聞いてみると、「運河良かっただけです」とか、「意思を変えただけです」とか・・・それが真実なんじゃないかなって気がする
簡単なことをイチバン難しくしているんじゃない?それが業なんじゃないの?
赤ちゃんが裸で生まれてきて、育てるほうは大変なんだけど、
子どもは育ってくんだよね
本当は私たちもカミの前では子供なので、そうできている気がする
自分の成功体験を思い出して欲しい
自分なりの成功体験で十分
そこに至ったときってのは、苦しいを我慢してとか、自分を叱咤激励して とか、歯を食いしばってとか、いうものと多少違うんじゃないかな。
そうしたことが多いような気がする。
そのときに「簡単だよっ」と思っちゃうと、不埒な気持ちになるので、ついしかめっ面をして「頑張れたので・・・」とかいう落とし前をつけるだけで
うまくいくときは簡単にいくんじゃないかな
自然界を見てると、そんなような気がしてくる
↓ なにがいいたいかっていうと、
全くすでにある考え、すでにあるものからなにか創造するのって全く意識していない部分、無意識の部分、自分でもわからない部分からプレゼントが飛び出してくると思う
それをブロックしているのがたった数%の自分の意識であって、
「わたしがイチバン不幸なんだ」とか、
「わたしがイチバン大変なんだ」とか、
そうやってブロックしているのであって、それは僅か数%の自分であるにも関わらず、多くの人がそうやって自分を否定してしまっている。
そのブロックをとるのが、ひとつの言葉として「簡単だよ!」と簡単に、軽く、そうした部分がきっとあるよっ
だって99%飛び越えようとしてくれてるんだもん!
99%の意識のところに可能性の渦があって、そこにパッと意識が狙い撃ちすれば
唸る次元からパッと生じるように、トラクターの力を借りなくてもこの世界にいろんなものが簡単に出現するようになってるんじゃないかな
って考えれば、自分に対する可能性と信頼がまた違った意味で出てくるんじゃないかな☆