当たり前を疑う = 「わたし」フィルターに気づく

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当たり前だと思っていた「授業」の風景が、わざわざ「蝶の標本」に喩えて大袈裟に表現されたことで、「当たり前なもの」として見逃してはいけない、特別なものに見えてこないでしょうか

異化とは、日常生活において慣れ親しんだ「当然」であることについて、あえて非日常的な「奇異」なものとして再認識し、表現することです。簡単にいえば、当たり前だと思っていたことを、当たり前でなくすることです。

日常的言語と詩的言語を区別し自動化状態にある事物を「再認」するのではなく、「直視」することで「生の感覚」をとりもどす芸術の一手法。

日常を「異化」する力は、問いのデザインに関連するさまざまなスキルの土台になります

「自動運転技術の発展によって事業の存続が危ぶまれたカーアクセサリーメーカーが、人工知能を活用した未来のカーナビ」を発想する呪縛に囚われてしまっていたケースを思い出してください。この事例では、筆者のヒアリングを通して暗黙の前提が揺さぶられ、向き合っていた問いが「自動運転社会において、どのような移動の時間をデザインしたいか?」という問いに転換することで、プロジェクトにブレイクスルーが生まれました。問いのデザインの本質とは、問題や社会に対するまなざしの「角度」や「焦点距離」を変えてみることで、現実の見え方を変えたり、発想の枠を取り外したりすることです。物事を解釈する枠組みを転換することから、これを「リフレーミング」といいますが、枠を変える前には、まず自分がどのような枠に囚われているのか、自動化してしまっている認識をメタ認知する必要があります。つまりこのケースでは、「自分たちの既存事業を、生き残らせようとしていること」「未来のプロダクトの鍵は、人工知能にあると考えていること」「カーナビとは、運転者が指の操作を通して利用するものだと考えていること」など、クライアントが「当然だ」と思っている状況を「奇異」なものとして捉え直し、相対化したのです。さまざまな思考や習慣が自動化されているなかで、固定観念から抜け出すためには、まず知覚を「脱・自動化」させることで、固定観念を指摘すること。これが問いのデザインの起点となる「異化」の考え方なのです。」

自分がいま埋め込まれている暗黙の前提を指摘することは、容易ではありません意識的に異化をできるようになるためには、まずは「別の可能性」を想定することが重要です。カーナビが「指で操作するものである」という前提を異化するためには、「もしかすると、脚で操作するカーナビもあってもよいかもしれない」「声で操作する可能性もある」「操作が必要のないカーナビが出てくる可能性もある」といった具合に、「そうでない別の可能性」を想定してみると、「あえて、”指で操作する”ことを前提にしている」ということに気がつくことができます。」

「海外旅行をすると「日本のトイレがいかに衛生的で便利か気がついた」「混雑した駅のホームでも整列する日本人のマナーを不思議に思った」など、「普段気がつかなかった自分たちの風習や環境」についてメタ認知させられることがあります。これは、日本に実装されていない「別の可能性」に触れることによって、日本に住んでいる人たちが置かれている環境を「異化」することができたからです。このように常日頃から自分・他者・社会の”別の可能性”を想像することで、現在のバージョンの暗黙の前提を言語化する癖をつけること。これが、問いのデザインの基礎である「異化」のスキルを磨くためのトレーニング方法です。」

日常で出来る問いのデザイン「異化」トレーニン

自分・他者・社会の”別の可能性”を想像することで

現在のバージョンの暗黙の前提を言語化する

異化はもともと芸術表現の領域で発展した方法ですから、思考するときの表現にもこだわるとよいでしょう。たとえば「自分は、あえて、〜しているのだ」「自分は、Aではなく、Bをしているのだ」「自分は、もし〜という前提に立つならば、〜していることになる」「実は〜かもしれない」「もしかすると〜かもしれない」といった構文をうまく使ってみると、日常の異化が捗るかもしれません。」